赤松義則・赤松満祐・赤松教康・赤松政則は
赤松義則は、室町時代前期の守護大名。
父は赤松則祐。
母は佐々木道誉の娘。
官位は上総介。
左近将監。
大膳大夫。
左京大夫。
兵部少輔。
1371年、父・則祐の死により家督を継ぐ。
1391年、明徳の乱では弟の赤松満則と共に幕府軍の一翼を担い、山名氏清討伐で大いに武功を挙げた。
これにより将軍・足利義満から翌年、山名義里領であった美作国を与えられた。
さらに侍所所司に任じられ、幕政にも参与している。
この義則の時代に、赤松氏は播磨国・備前国、そして美作を領する有力守護大名に発展したのである。
天授6年には弥勒寺本堂を。
1427年9月21日、70歳で死去。
法号は竜徳寺延齢性松。
後を子の赤松満祐が継いだ。
ちなみに義則は、身体が極端に小さかったため、赤松三尺入道と称された。
赤松満祐赤松満祐は、室町時代の播磨・美作・備前の守護大名である。
父は赤松則祐。
母は佐々木道誉の娘。
官位は上総介。
左近将監。
大膳大夫。
左京大夫。
兵部少輔。
1371年、父・則祐の死により家督を継ぐ。
1391年、明徳の乱では弟の赤松満則と共に幕府軍の一翼を担い、山名氏清討伐で大いに武功を挙げた。
これにより将軍・足利義満から翌年、山名義里領であった美作国を与えられた。
さらに侍所所司に任じられ、幕政にも参与している。
この義則の時代に、赤松氏は播磨国・備前国、そして美作を領する有力守護大名に発展したのである。
天授6年には弥勒寺本堂を。
1427年9月21日、70歳で死去。
法号は竜徳寺延齢性松。
後を子の赤松満祐が継いだ。
ちなみに義則は、身体が極端に小さかったため、赤松三尺入道と称された。
赤松満祐赤松満祐は、室町時代の播磨・美作・備前の守護大名である。
update:2010年07月18日
